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魅力発見・西早稲田スタイル
vol.1

金哲彦さん
スペシャルインタビュー

長距離走に燃えた早稲田大学での4年間。
箱根駅伝の伝説的ランナーを生んだ早稲田の町
80年代前半に早稲田大学競走部の一員として箱根駅伝などで大活躍され、現在はマラソン解説をはじめとした多彩な活動で走ることの楽しさを発信されている金哲彦さん。
金さんの事務所とインタビュワーをオンラインでつないで、アットホームな雰囲気の中で大学時代の思い出や早稲田の町の魅力を語っていただきました。現在の早稲田の様子を動画で見ながら貴重なエピソードを語って下さった金さん。陸上競技ファンならずとも必読のインタビューです!
Movie
※本記事の撮影は、昨今の新型コロナウイルスの影響を十分に配慮の上行われております。

早稲田のキャンパスに通う時だけが、
普通の学生になれる時間だった

今から38年前の昭和57年(1982年)に早稲田大学に入学された金さんは、競走部の一員として箱根駅伝連覇や「山の5区」で2度の区間賞を果たされるなど、大学の歴史に名前を刻む伝説的OBのお一人です。まずは早稲田大学に進学されたきっかけからお聞かせいただけますか。
金哲彦さん(以下、金)僕は九州の福岡出身で、当時、長距離をやっている人は、みんな瀬古(利彦)さんに憧れていたんです。学生時代から福岡国際マラソンで『W』のユニフォームを着て優勝したり、幻のモスクワオリンピック代表に選ばれたりと、当時の瀬古さんは本当のスーパースター。その活躍をずっと見ていて早稲田に行きたいと思っていました。自分もエンジ色に『W』が白抜きされたユニフォームが着てみたいなって。
金哲彦さん
初めて早稲田の町を訪れた時の思い出を教えてください。
一番最初に早稲田を訪れたのは入学試験の時ですが、入学前から競走部に入ることが決まっていたので、福岡から上京して入学式より前に東伏見(西東京市)の寮に入りました。そこで競走部の一員という意識を植え付けられて、大学生になる前から既に体育会の厳しい生活が始まっていたんです。それから、いよいよ授業が始まる時期になってキャンパスに行ったのが、本当の意味で早稲田の町を初めて訪れた時になりますね。
当時の体育会は、早稲田通りの反対側の歩道で会っても『こんにちは、失礼します』って直立不動で挨拶しなければならないほど。先輩は神様みたいなものだったし、授業の時も寮の仲間がいて体育会の延長みたいなところがあったから、通学の時だけが普通の学生になれる数少ない時間でした。
金哲彦さん
キャンパスの中で金さんはどんな学生だったんですか?
自分でいうのもなんですが、僕は真面目な学生だったんですよ、本当に(笑)。九州から出てきて、無理して私立の大学に行かせてもらっていたので、親からは『授業料を払っているんだから、とにかく授業を真面目に聞け』と言われていました。
4年間の中には、“甘酸っぱい青春の思い出”などもあったんですか?
まったくないですね。1年、2年の時は先輩たちのトレーニングについていくのが大変だったし、3年以降は後輩の面倒を見なきゃいけなかったので、そういう余裕はまったくありませんでした。僕がいた頃の競走部は箱根駅伝を連覇した強い時代だったから、とにかく他校に負けられないプレッシャーが凄かった。

古いものと新しいものが
混在しているところが早稲田の魅力

面影橋駅
面影橋駅(徒歩1分・約50m)2020年5月撮影
早稲田の町には、どんな思い出がありますか?
我々が学生の頃は陸上競技って地味だったし、今みたいに箱根駅伝もテレビでやっていないから、野球部やサッカー部、ラグビー部なんかに比べるとキャーキャー言われることは少なかったですね。でも、居酒屋にいるオッチャンたちには好かれていました。長距離選手は内臓が強いので、大きな大会の後のような節目に飲む量が半端なかったから。
町の人たちが、体育会の学生を応援してくれているんですね。
そうですね。箱根の後に常連のお店に行って、そこのマスターに『区間賞獲ったよ!』って言うと一品おまけしてくれたり、競走部内のコンパの時に差し入れをもらったりね。あと、学生時代はトレーニング漬けの毎日で、寮には自分の部屋にテレビすらなかった。二段ベッドの上だけが自由に使えるスペースで、本を読むのが数少ない娯楽でした。でも、お金もないから普通の本屋さんで本を買えなくて、早稲田通りの古書店によく通いましたよ。表に並んでいる50円均一、100円均一と書かれた文庫本の中から良さそうなものを探して。僕らの頃は五木寛之なんかが凄い人気だったけど、そんな贅沢は言えず、とにかく50円以内の本の中から掘り出し物を探していました。
そういう昭和の薫りがする古書店の風景は今も昔も変わりませんね。
面白いですね。昔からまったく変わっていない風景もあるし、最近の流行り物もある。そういう古いものと新しいものが混在しているところが早稲田の町の魅力かな。
「昔からまったく変わらない」という点で、他に感じるのはどんなところでしょう。
やはり高田馬場駅から大学に向かう人の流れがあって、授業に出る学生だけでなく、町に屯ろしている学生がいたりとか。自由な雰囲気の町の中に、本当にいろんな人種がいる。それはインターナショナルという意味の人種ではなくて、様々なことをやったり考えたり、昔も今もそういう統一感のないところが早稲田という町の個性じゃないでしょうか。
金哲彦さん
早稲田大学の周りにはいくつかの通学路がありますが、金さんは「西門通り」を通ることが多かったそうですね。
教育学部は西門からすぐの16号館に教室があって、西門通りから入るのが一番近かったんです。お昼ご飯も西門通りで食べることが多かったですね。一番常連だったのは『フクちゃん』。メンチカツが有名なお店で、チョコメンと言ってチョコレートが入っていたり、チーメンと言ってチーズが入っていたり、オリジナルのメンチカツがすごくおいしかった。でも、お昼を食べてから2、3時間後には午後練でハードな練習をしないといけないから、揚げ物を食べると胸焼けしてうまく走れないというのは当時のジレンマでしたね(笑)。
早稲田生の心に残る味。いわゆる“ワセメシ”というやつですね。
そうですね。そのほかに『藤』はカレーで有名なお店で、舟みたいな形の底の深い器で食べていると、店員さんが『カレーかけますか?』って、上からまたルーをかけてくれるんですよ。だから、ご飯を少しずつ食べると、際限なくカレーが食べられました。確か店員さんは三十代くらいのお姉さんだったかな。あの声が懐かしいなぁ。
西門通りの伝説的な食堂のうち、フクちゃんと藤は惜しくも閉店してしまいましたが、「三品食堂」は今も現役でがんばっています。
三品食堂もよく行きました。牛丼なんだけど、トンカツと玉子ものっている『カツ玉牛』というのがあって。そのほかには『カツメシ』ね。
大学の近くに、そういう思い出の味があるって幸せなことですよね。
それが青春そのものですから。今でも藤のカレーの話をしたら早稲田の卒業生はみんな喜びますよ。卒業してからもあの味が懐かしくて、10年くらいは食べに通っていました。ただ、若い頃は勉強や練習の後でお腹ペコペコだったので、あれだけの量が食べられたけれど、今はあの頃ほど走らないから量が多すぎて食べきれないかもしれないです(笑)。

早稲田は山手線全体の中で
心が一番落ち着くエリア

練習は主に東伏見で行われていたと思いますが、授業の合間などに早稲田の町を走ることもあったんですか?
頻繁ではないけれど、何度かは走りましたよ。神田川沿いや荒川線が走っている方、あとは目白の方に上がって行ったりとか。あの辺りは坂が多いから、良いトレーニングになるんです。競走部で練習する時は厳しさもあるし、競走もある。でも、キャンパスの周りを走る時はのびのびとできたから、通学の時が普通の学生になれたのと同じように、一人のランナーとして解放された時間でした。
駒塚橋
駒塚橋(徒歩11分・約840m)2020年5月撮影
椿山荘があるあたりの神田川沿いは特に心地の良いランニングコースで、朝夕には多くのランナーを見かけます。
今はリーガロイヤルホテルのような高い建物ができたけど、昔は大学の校舎が一番高いくらいだったから、今より少し見晴らしが良かったと思いますね。ちょっと高い場所からなら池袋のサンシャインが見えたんじゃないかな。神田川の川沿いはジョギングコースになっているし、早稲田通りは信号が多いからできれば避けて、坂を登って目白通りの方に行くと気持ちよく走れると思います。
このインタビューもそろそろ終わりが近付いてきましたが、金さんが思う西早稲田、ひいては早稲田の町の魅力を改めてお聞かせください。
結構近い年代の知り合いが住んでいるのですが、みんな、やっぱり住みやすいって言いますね。山手線って本当にいろんな顔を持っていますよね。若者の多い渋谷や恵比寿、大きな歓楽街がある新宿、秋葉原のような雑然とした町もある。いろんな顔を持っている中でも高田馬場や早稲田、目白あたりは山手線全体の中でも心が一番落ち着くエリアだと思います。
金哲彦さん
もし金さんが西早稲田に住むとしたら、「こんな暮らしをしてみたい」というイメージはありますか。
たまに学生気分に戻りたい。授業は聴かないけど出入りは自由だろうから、学生の隣でご飯を食べてみたり。あと、図書館もあるでしょ。OBは図書館を使えるシステムがあるので、そういうのを活用したいです。早稲田の町には昭和が残っていますよね。文学青年みたいなのもいれば、バリバリの人もいるし、ギター持って一人で歌っているような人もいるし。今、東京ってそう言う場所がどんどん減っているので、今の人には新しく、昭和世代の人には懐かしさの感じる町だと思います。
金さんのお話を聞いて早稲田の町の魅力を一層知ることができました。今日は長いお時間にわたってご協力いただき、ありがとうございました!
Profile
金哲彦(きん・てつひこ)
昭和39年(1964)、福岡県北九州市に生まれる。昭和57年(1982)に早稲田大学教育学部に入学。競走部に所属し、無名ながら1年生で箱根駅伝の5区ランナーに抜擢され、以降、4年連続で同区を走った。昭和59年(1984)と昭和60年(1985)に箱根を連覇。個人としても区間賞を2度獲得した。卒業後は、自らが立ち上げたリクルートのランニングクラブで、マラソンランナーとして活躍。現役引退後はランニングコーチとして数々の有名選手を指導。平成14年(2002)にはNPO法人ニッポンランナーズを創設し、競技者から市民ランナーまで幅広い層の指導にあたっている。わかりやすいマラソン解説や、NHKで放送中のテレビ番組「ラン×スマ」の出演者としてもおなじみ。
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※掲載の情報は2020年6月取材時のものです。